| ●「緋のかぶら」の由来 |
寛永四年(1627)松山城主に転封された蒲生忠知は、故郷である近江国日野(現在の滋賀県)も合わせて領有していたため、近江国日野の人々のうち松山に移住する者もありました。その際、「緋のかぶら」の原種である日野の赤カブ(日野菜カブ)が移植されたと言われています。
また、忠知が近江国で慣れ親しんだその味が忘れられず、松山に取り寄せて栽培させたのが始まり、とも言われています。
他にも忠知に次いで城主となった松平定行のころ、家臣岡治兵衛吉定が出身地の日野からその種子を取り寄せ、栽培に成功したとも言われている。どちらにせよ「緋のかぶら」の原種は日野菜カブに間違いなさそうです。
近江から移植された日野菜カブは、「湯の町・道後」で温かく丸々と育ち、相当な年月を経て改良を遂げ、現在の「緋のかぶら」が生まれました。
「緋のかぶら」は、その昔、「お城山の天守閣が見える所でないと作れない(松山城が見える畑でないと育たない)」とも言われていたほど、松山の味としてこだわりがあったのです。
|
| ●「伊予節」と「緋のかぶら」 |
江戸時代にできたといわれる、愛媛を代表する民謡が「伊予節」です。当時大阪で流行し、江戸へと移っていったと伝えられ、伊予の名物名所が巧みに詠み込まれています。
その中にも登場するくらい、「緋のかぶら」は歴史的にも伝統ある野菜なのです。
|
| ●「正岡子規」と「緋のかぶら」 |
明治26年3月に愛媛県出身の俳人、正岡子規によって詠まれた句です。
お膳の上にのっていた「緋のかぶら」の鮮やかな赤色が、お膳の周りまで春色に染めてしまったというような、ほんわりとした情景が浮かび上がってくるよう。
子規は他にも 「女ども 赤き蕪(かぶ)を 引いて居る」 という句もあります。「緋のかぶら」は俳人の心をもとりこにする美しさであると言えるでしょう。
|
| ●「松村蒼石」と「緋のかぶら」 |
この句は昭和16年に滋賀県神崎郡五個荘(ごかしょう)町出身の松村蒼石によって詠まれたもの。五個荘町は日野菜カブの生産地である山沿いの日野よりも琵琶湖に近い町です。自身は13歳の時に京都の織物問屋に奉公に出たため、もっぱら、母が話してくれたふるさとの自然や風物についての話が俳句の源になったそう。緋のかぶらを漬けているふるさとの冬の情景、寒さの中でひときわ鮮やかなかぶらの紅色が目に見えるようです。
(資料提供:五個荘町 近江商人博物館)
|
| ●「緋のかぶら」ってどんなカブ? |
「緋のかぶら」はアブラナ科に属するカブの仲間で正式な品種名は「伊予緋カブ」と言います。ヒカリカブ、聖護院カブが白いのに対して、根の表面と茎が赤いのが特徴です。
また飛騨高山、長崎、秋田の赤カブとは異なり、アントシアニンという色素を多く含みます。
「緋のかぶら」の生育の適温は15度〜20度。寒さには強いのですが、暑さに弱く、主に秋作として栽培されています。水はけが良く、適当に湿気のある砂壤土に良質なものが育ちます。成育期間は70〜80日。
|
| ●「緋のかぶら漬」の鮮紅色の秘密 |
カブに含まれている天然シアニンが酢の酸と反応するためで、人工着色ではありません。
そして「緋のかぶら漬」を他より群を抜いて赤色に発色させるのは、「みかん王国・愛媛」にふさわしいダイダイ酢。ダイダイ酢は香味・色沢の面で大変優れています。もちろん赤カブをダイダイ酢と合わせて漬物にしているのは愛媛県だけ。
「緋のかぶら」の「緋」は緋色(赤の中でも最も鮮やかな色)を表しています。
|
| ●「緋のかぶら漬」ができるまで |

|
「緋のかぶら」はお盆過ぎから9月中旬にかけて種まきし、直径7〜10センチになる10月下旬から順次収穫します。漬け込みは11月から本番を迎えます。
一般的な漬け方は、まず葉を落とし、一晩水につけてアクを抜き、5ミリ厚の輪切りにして、1週間ほど塩漬けにします。そしてダイダイ酢と砂糖を合わせた中に漬けて重しをします。
その工程のなかで難しいのは、塩加減、酢加減。そして発色の具合です。塩漬け後の塩抜き、脱水、中漬けの仕方によって甘みと香りが微妙に変わりますから、原料の「緋のかぶら」の出来具合によって経験豊富な職人が調整します。
しかし、色の方は人工着色料を使わない天然の発色なのでそうはいきません。カブそのものが気温15度以下の環境で育ったものでないと、色が定着しにくいため、季節が到来しなければ「緋のかぶら」は鮮紅色にはならないのです。いくら冷蔵庫で冷して漬けてもダメ。まさに自然から授かる恵みの色と言えます。
|